Q.:「左官」は「さかん」?それとも「しゃかん」と読むの?

A.:
「さかん」と読みます。現在の漢字の「左官」は当て字で、古くは「沙官」「沙翫」と記されていました。
「しゃかん」と発音するのは、「さかん」がなまったものですが、この「沙」の字に由来したもので、単なる訛りではないのかとも考えられています。

※上記については諸説があります。

Q.:いつ頃からあるの?

A.:
大和・飛鳥期には、祭礼を行うための仮設建築において木舞を編み、土を塗り付けた『荒壁仕舞(じまい)』が存在していたようです。
これが、我が国最初の左官工事の息吹と考えられています。

建築物に不可欠な壁の歴史ですが、縄文明から古墳時代、日本の住居には壁はありませんでした。
地表に浅く穴を掘り、それをすっぽりと屋根で覆った竪穴式住居が一般的でした。

その後約400年、飛鳥・奈良時代から平安時代にかけても、なお竪穴式であったと言われています。

弥生時代になると、収穫物を湿気や鼠害から守るため、地面に建てた柱の上で暮らす高床式の建築物となり、草をふいたり、板を張って、壁を造ることが必要とされるようになりました。

その後、大和・飛鳥期に日本の壁の歴史は夜明けを迎えたわけです。

※上記については諸説があります。

Q.:鏝はいつから使われたの?

A.:
日本における『左官鏝』の出現は、奈良時代に大陸から伝来する仏教とともにやってきたと考えられています。

仏教の伝来は、大陸から新しい建築技術を同時に伝え、多くの寺院が建設されました。
その寺院の土壁や漆喰壁を塗るために渡来した工夫とともに『鏝』は持ち込まれたと考えられています。
どのような鏝が使われて壁が塗られていたのかについては、史料が残されていないため良くわかっていません。

日本では最古の鏝として、飛鳥池遺跡(7世紀/西暦600~700年の後半)と滋賀県湖西線関係遺跡(飛鳥時代以降)から、木鏝が出土しています。

※上記については諸説があります。